2011年12月08日

津波襲う岩手沿岸、岩手県警が画像公開。

3月11日、100年に1度といわれる東北大震災が発生。
死者は1万人を超え、行方不明者も1万人を超えた未曾有の大災害でした。

岩手県警が、津波が沿岸を襲う様子を公開しました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111207-00000073-mai-soci


私の実家は三陸にあり、実家も津波に呑まれ家族はなんとか助かったものの、家は全壊してしまいました。

1週間も電話が通じず、一時は最悪の事態を覚悟したあのとき。

家族の無事を知らせる電話が来たときの気持ちは一生忘れないでしょう。

三陸沿岸はすべて津波に呑まれ、火災も発生したので街は焼け野原となり、商店街も全部なくなってしまいました。

知人も何人か命を落としました。

避難生活を余儀なくされ、今も不自由な暮らしを強いられている方々が数え切れないほどいます。

福島原発はメルトダウンを起こし、原発安全神話はうそだったのだと国民が知りました。
チェルノブイリ原発事故では、一基のみの事故でしたが、福島原発は4基が壊れ、海水に放射能が垂れ流され、水田にも畑にも放射能の汚染が広がり、最悪の事態となりました。

10メートルの防波堤を30メートルの波が襲って破壊した津波の威力は、自然の恐ろしさをまざまざと見せつけました。

東北の冬は芯から冷えて寒く、仮設住宅の壁は非常に薄く、隣の仮設にすむ人の声がいちいち聞こえてくるそうです。

子どもさんがいる家庭では、「静かにしなさい!」との声があげられ、子どもさんの居場所がありません。

テレビや冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、エアコン完備の仮設ですが、なにしろ薄い構造なので東北の寒さに高齢者の方々が耐えられるか非常に心配です。

今月のクリスマスの連休に1年半ぶりに帰省し、ふるさと三陸の変わり果てた姿を見ることになりました。

瓦礫が撤去され、さら地になった町。

鉄道も線路が津波によって曲げられているため、今も不通です。

バスがたくさん走るようになったとはいえ、バス代は電車代より数段高いのです。
三陸は海の幸で有名ですが、牡蠣もホタテもすっかりだめになってしまい、いまだ復興のめどがたちません。

政府はこの事態に対し、増税をもって対処するつもりらしいですが、果たしてどうなることやら。

12月、1月、2月、3月と極寒の中を耐え忍ぶ方々。

震災の影響はまだこれからです。



Posted by わか殿の日記ブログ at 09:45│Comments(0)
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